テニスと僕

テニスというものはおそらく小さい時から知っていた。

父親がテニスをしていて、なんどかラケットを持った記憶がある。

中学生の頃「スラムダンク」の影響で1年間バスケットボール部に入ったものの挫折。

家族がみんなやっていた。自分の友人が楽しそうにやっていた。

流れで軟式テニス部に入ったのがキッカケでテニスを始める。

好き、嫌いもないが、負けるのは嫌いだったので、

自分が唯一他の人に比べてできるスポーツ、もちろんテニスを選択して

高校の時には硬式テニス部に入部。

主だった成績を残すことは無かったが、
テニス部員が皆見ている団体戦では5勝2敗と高い勝率を誇り

後輩には「学年で最も勝った先輩。」と語り継がれる事になる。

ここまで来ると大学でもテニス以外の選択肢はなかった。

ただ、全国区が集まっている大学の部活をやれるほどの実力は無い事は十分分かっていたので

大学テニスサークルに入る。

1回生の時は

初心者が圧倒的に多い趣味テニスサークル。

部活並みの熱さを持つ、本格的テニスサークル。

の掛け持ちをしていて、主に本格的テニスサークルがメインだった。

「ノッたら手がつけられない」というモチベーション頼みのテニスで

全国区だった人間たちが在籍するサークルでダブルス「ベスト4」を記録。

と言ったら聞こえはいいが「まぐれ」

その甲斐もあって、団体戦では1年生レギュラーの挑戦権も貰い

2回勝ったらレギュラー権を獲得できる試合で全勝。

そこからレギュラーとして定着する。

そこから個人のシングルス戦でも「普通じゃない」試合運びで話題に。

6-0で勝ったり2-5の0-40から逆転したり

「見ていて飽きない」試合を展開。

ただ、常に手が抜けず、3試合目以降は「ボロボロ」になる為

トーナメントの3戦目以降は実力の半分も出ない事が判明し

トーナメントプレイヤーとしての限界を感じる。

そうして、1年間在籍した後、学校の授業が忙しくなった事を理由に
本格的サークルを辞める。

その後、もう一つの趣味テニスサークル1本に絞り、飲みサークルと言うくらいお酒は飲んだものの
テニスはと言われると「たしなむ程度」。(普通は逆)

ただ、幹部になった時は副部長としてテニスサークルを牽引

「テニスサークルに在籍していました。」と社会人になってから言えるレベルになるように

サークルのコーチ的存在として指導に当たる。

楽しく上達するようにメニューを毎週考えて実行した結果

その当時は効果が見れなかったものの

練習が受け継がれていった5年後

「初心者のみのテニスサークル」

「経験者がいるテニスサークル」

に変貌。

今でも殆どの練習が採用されている。

そこから社会人になり、テニスは自分が出来るスポーツとしてやっている。
練習やゲームは楽しいし、充実した気分になる。

ガチンコの試合はしないけれど、
誘われたら迷わずラケット持ってコートに向かう位は好きです。

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