こんにちは。青峰です。
2014年5月18日20時33分
長男が産まれてきてくれました。
僕が父親になった日なのですが
何とも言えない不思議な体験でした。
産まれてきた子どもの名前は
「青空」と書いてソラと読みます。
男の子と分かった時から決めていました。
すべて無事に終わりましたし
ずっと忘れないように経過を記録しておきたいと思います。
Contents
お腹の張りが強くて入院してしまった嫁
4月の初めからずっと嫁さんは入院をしていました。
お腹の張りが収まらず切迫早産入院。
早産になる可能性は低いけど絶対安静。
約1ヶ月半ベッドで寝たきり。
長い長い孤独との戦いだったと思います。
張りを抑えるために
点滴の様に注射をしておかなければならず
切迫早産として入院すればするほど
注射の数が増えるので、使える血管が少なくなり
だんだんと痛いところしか無くなるそうで
最後の方は本当に辛そうでした。
ただ、僕が帰るまでは頑張ろうと
注射を何度も打った手にまた打って
傷みに耐えて待っていてくれました。
やり取りに使っていたLINE越しでも
相当辛いのが分かったし「早く楽になって欲しい」と思い
僕が帰国する3日前
「もしかしたら青空も産まれてきたいかもしれないから
それを薬で抑えるのも可愛そうだし
僕を待たずにもう産めるなら産んで良いから」
と伝えました。
僕の為に嫁も子どもも耐えているのが
僕自身も辛かったのです。
点滴を抜いたらすぐに産まれてくるかもしれないという事で
僕も帰るまでに産まれてくるかもという事は考えていました。
予定日は6月7日でしたから3週間以上早いことになりますが
3000gに近かったので
産まれてくるには問題ない重さではありました。
点滴を外した後は前駆陣痛もあって
いつ産まれてきてもおかしくない状況でした。
帰国する日の朝に陣痛が
僕がジョホールバルを出発したのは朝5時。
ギリギリまで用意していなかったのもあり
寝たのは1時を回っていて
睡眠は3時間程しか取っていませんでした。
そのままジョホールバルから
クアラルンプールへ。
朝の8時には空港に到着してLINEを開いたら
「もしかしたら、もう産まれるかも」
というメッセージが。
陣痛が始まって
感覚が随分と短くなってきたという事でメッセージをくれたのですが
状況が分からないので何とも言えず
「もう産まれる感じ?」
と送りました。
薬を抜いた反動かもしれず
微妙な感じで誰も判断できないとの事。
結局、分からないままフライト時間になって
嫁さんとのLINEは
「全く連絡なかったらお産が進んでいて
LINEしている余裕が無いと思ってください。」
というのが最後で、
状況が分からないまま
僕は飛行機に乗ることになりました。
何だか落ち着かない機内
考えても仕方ないのですが
何だか落ち着かない時間が過ぎていました。
かと言って到着する時間は変わらないので
隣に座っていたオーストラリア人のピーターに話しかけて色々話をしたり
仕事があったのでそれを続けていましたが
夜遅くに立ち会いになるかと思い
少しだけ仮眠も取っては仕事をしてを繰り返して
やっと大阪に到着しました。
携帯のSIMカードを差し替え到着と共に
インターネット接続が出来るように用意してました。
そして大阪に到着
早速LINEを開いて確認。
しかし、メッセージが入ってこない^^;
メッセージが入ってこない = 出産中
なので
早く行かないといけないと思い急ぎ気味。
ピーターとは
「今日出産かもしれない」
という話をしていたので
「奥さんのメッセージ見てるの?」
と聞かれたのだけれど
メッセージが入ってないのが気になり
適当に「ヤー」と返して
iPhoneを凝視していました。
もしかしたら、もう始まっているかもしれない。
急いでも荷物が取れないと移動出来ないので
ピーターを案内しながら移動。
ちょうどその頃にLINEが到着。
どうやら上手く電波が入っていなかった様。
良い感じで産道が開いてきていて
傷みも増してきたので病院に来てという事でした。
関空から直行で病院へとなったのですが
23時を回っていてバスも殆ど出ておらず
流石に日本でタクシーを使う勇気もわかず
電車で行くことに。
時間にして1時間半。
移動中はジタバタしても仕方ないので
その間に仕事を片付けながら移動。
何とか終電で病院へたどり着いて
2ヶ月ぶりの対面
帰国してすぐ目にした無数の注射の跡を見て
「本当に良く頑張ってくれたんだな」
と思いました。
やっぱり聞いているのと見るのは全然違いますね。
僕が到着したくらいから陣痛の傷みが増してきたので
もしかしたら夜中に産まれるかもしれないと言われ
分娩待機室で一緒に居ることに。
1時間くらい頑張ったのですが
疲労困憊の為にダウン。。。
看護師さんが入ってくる音で
目が覚めかけたのですが
「マレーシアから帰ってきてすぐで
殆ど寝てないので
寝かしておいてあげてください」
という嫁の声がして、
あぁ、こんな時にも気を使ってくれるんだと感動した反面
それで目が冴えてしまったものの
看護師さんが出るまで起き上がれなくなりました^^;
看護師さんが出た後に起き上がりました。
ただ、陣痛の時も嫁さんはずっと静かだったので
そこまで痛いものだと思わず、
起きて暫くは様子を見ながら仕事をしていました。
大丈夫なくらいの傷みだったそうですが
夜は眠れないレベルの傷みだったという事で
その時からさすっておけば良かったなと思います。
陣痛の傷みが増して端から見ていても辛そうに
朝から昼にかけて
だんだんと傷みが増していくのが分かり
僕もパソコンと向き合っているのは難しくなりました。
嫁さんのお母さんがさすってくれていたので
僕は手をにぎる事に。
でも、これだけでいいのか?
というのがずっと頭の中にはありましたね。。。
だんだん辛そうになっていくのを見ているだけですから
何かしたいけど何も出来ないという
気持ちだけが大きくなっていきました。
頑張ってるから頑張れとも言えないですし
一体、何ができるんだと自問自答を繰り返しますが
何も無いんですよね^^;
昼間はずっと苦痛との戦い
だんだん子宮は開いていってましたが
分娩室にはいる程ではなく時間はどんどん過ぎていきます。
陣痛の痛さが数値として出るセンサーをつけて様子を観察。
メーターが振り切ったりしたので
「測定不能の辛さ」
となっているのだと思うものの何も出来ない
の繰り返しで
心臓を誰かに握られては離れてを
繰り返している気持ちになりました。
あまりの無力感で涙がでそうにもなりました。
僕はメンタル的にダメージを受けているだけで
大した事はありませんが
目の前の嫁さんはどんどん辛そうになっていくばかり。
分娩室に入るまで5時間くらいその状態が続きました。
そして分娩室へ
破水をしたら分娩室へと言われましたが
中々しないまま時間は過ぎていき
子宮は十分広がった所で
破水はしていないけど分娩室へ行くことに。
予備知識も全くない状態だったので
破水や子宮が広がったら出産が間近という以外は
よく分からないまま一緒に分娩室へ。
一体、どれくらいの時間がかかるかも
分かりませんでしたが
とにかく早く楽になって
欲しいという気持ちだけでしたね。
分娩室に入ったら
大体2時間くらいで産まれてくる
と聞き、
「もうすぐ産まれてくる」
と両親にも連絡を入れました。
予定より3週間早いですから
陣痛が来ていると聞いていた時も「まだなのかもしれない」
という気持ちがありましたが
ここまで来たらもう確実に「産まれてくる」訳で
僕自身も腹を括れたというか落ち着きました。
「よし、後は産まれてくるだけだ」
という事で一緒に分娩室へ入りました。
あれ?こんなに先生来ないの?
分娩室ってラストステージのイメージだったので
入ったら僕は見ているだけなのかと思っていたら
助産師さんが「それじゃあ」と出て行きました。
苦しそうに分娩台に一人の嫁さん。
体制的に背中をさする事が出来ないので
手を握っている事に。
背中をさするのは何か参加出来ている感じがしていたのですが
その役目も無くなり
本当に手をにぎる以外できることが無い。
長い長い時間が始まりました。
手を握って、汗を拭いて、飲み物を取って
の繰り返し、
一定間隔で今まで見たことも無い
苦しみ方をしている嫁さんを前にしてただ立っているだけ。
「ポック、ポック、ポック」
とエコーで拾っている
赤ちゃんの心音だけが鳴り響いていました。
大きな音で早い心音だったので
青空が元気というのが唯一の気休めでしたね。
結局、助産師さんが時々来るだけで
2時間以上経過しました。
そしていよいよ出産
出産の時がやって来ました。
出産の準備の為に
僕は一旦分娩室から出て一休み。
しばらくして呼ばれたので中に入ったら
テレビで見た事のある出産の時の風景が広がっていました。
そこからは本当に見ているだけ。
さらに苦しそうな嫁さんを見ていられなかったのですが
一番苦しいのは嫁さんですから
僕が苦しんでいる様子から目を背けるのは違うと思い
ひたすら見ていました。
「早く産まれてきて欲しい」
ただそれだけだったと思います。
そして、いよいよという時に先生登場。
機は熟したという空気になりました。
この辺りの時間間隔はおかしくなっていたので
あんまり覚えていませんが20分位経って頭がもう少し。
「あともうひと踏ん張りできる?」
という助産師さんの一声で一踏ん張りした瞬間
嫁さんの顔が一気に安らかに変わりました。
何やらバキュームの音(血を吸っている音だったそうです。)
がして、すぐ鳴き声が。
産まれたー。
という何とも言えない脱力感。
「ありがとう!よー頑張ったね!」
というのが最初の一言でした。
それ以外の言葉がありませんでした。
終わったらぐたっとするだろうという予想を裏切って
本人はさっきまでのしんどそうだったのが信じられないくらい
明るい表情でピースをしていました^^
産まれてきた子どもは油まみれで
ラップにくるまれたままのようになっていましたが
元気に泣いていたので一安心なのかなと。
産まれてきたばかりの
赤ちゃんをテレビとかで見た時は
他人ごとでしたし
宇宙人の様にも見えていたのですが
嫁さんのお腹から出てきた子どもが
泣いている様子を見て生命の神秘を感じました。
人によっては感動して泣くだろうし
人によっては愛おしく思うだろうし
それぞれだと思いますが
この自分の子どもが産まれて
すぐに泣きはじめた様子を見た時の気持ちは
文章に出来ないですね。
達成感と安堵感に
新しい家族が出来たという充実感にも似た実感
よく頑張ってくれたという感謝とこれから頑張らなければという決意
いろんな思いが一気に
押し寄せてきて包まれました。
この瞬間に
僕らは父親・母親になり
両親はおじいちゃん・おばあちゃんになりました。
これからよろしく。青空。