こんにちは。青峰隆です。
私事ですが本日で
ジョホールバルに移住してからちょうど1年が経ちました。
昨日まで
日本に住む両親と弟が遊びに来てくれていて
とても充実した時間を過ごして、今日を迎えました。
もう1年経ったのかというのが正直な感想です。
色々な想いがあるので
これを期に書いてみたいと思います。
Contents
一年前、沢山の人に見送られて出発しました
出発する当日、
僕ら夫婦の親戚や友人が見送りに来てくれました。
朝早いのにも関わらず
大学時代からの先輩は
会社を休んでまで車で迎えに来てくれて
昼からしか何処にも行かないと
言っていた祖母も遠いところから駆けつけてくれました。
嫁さんの両親、親戚、友人も駆けつけてくれて
気がつけば大所帯。
あの日の光景は今でも忘れません。
その日は会えなかった沢山の人からメッセージを頂きました。
送り出してくれた人全員にとても感謝しています。
最初にやったのは家の居場所の確保
到着早々試練が待っていました。
部屋がクリーニングされているとは言いがたい状態で
何処にも座りたく無いと思ってしまいました。
思い出すだけで蕁麻疹が出そうな位で
荷物を運び込んだのもつかの間
すぐにジャスコに掃除用品を買いに行きました。
何も知らないのでタクシーも呼べず
ジャスコに行くにもタクシー番号も分からず
セキュリティゲートで呼んでもらう事に。
この日が初めて
ジョホールバルのタクシーに乗ったのですが
どう伝えて良いか分からず
「ジャスコ」
と言った覚えがあります。
この時タクシーの運転手には「どのジャスコ?」
みたいな事を言われたのですが殆ど聞き取れず
「ニアー、ニアー、ザット、ザット」
といって無理やり行ってもらいましたね。
とにかく清掃用具と布団と非常食
部屋の布団にカバーなどついていなかったので、
まずは自分たちの寝る所を確保するために
ジャスコに行って最初に探したのは布団。
所持金は20万円程だったので
その範囲で生活費なども捻出しなければ
いけませんでしたが
とにかく何にいくら掛かるのか全く分からず
値段を見ては計算をして「これはいくら」と考えながら
ものを買って行きました。
あとは清掃用品。
あらかじめ視察していましたが
実際にどんなモノがあるのかを細かく見ていたわけでは無いので
何があって何がないのか?
そもそも何処に掃除用品が置いてあるのか?
というところからでした。
あと、店が全部閉まって餓死しないために
非常食としてお菓子やジュースを幾つか買いました。
何とか寝場所を確保
買ってきた布団とファブリーズで
寝る場所をまず確保しました。
すでに相当クタクタで
そのまま寝てしまいましたね^^;
生活に必要そうなものを確保するために再度出発
インターネットが出来ないのは
致命的だったのでその日のうちに確保しました。
月額のCelcomを契約してネットは確保。
ごはんもついでに食べました。
もう細かい事は覚えていませんが
とにかく必要と思ったものはひたすら買い込みました。
家に帰った時の
安心が欲しかったのだと思います。
3日後事業が本格スタート
本格的に事業をスタートさせるのは
僕の移住待ちの部分があったので
必要最低限のことだけ準備して仕事をし始めました。
この時、家はまだ布団と机、
椅子くらいしか綺麗にはなっていなくて
部屋のうち3部屋は使えない状態でした。
ここは嫁さんが毎日一生懸命掃除してくれて
少しずつ住めるようになっていきました。
嫁さんが居なければ
部屋で生活が出来るようになりませんでした。
仕事にどっぷりと入って、他には手をつけれなかったので
ここは本当に感謝しています。
ぶっつけ本番英語の壁多数
生活しはじめて2ヶ月は英語で大変苦労しました。
聞き取れないので、中々会話が続かないのです。
英語が出来なくて諦めた事は1つもないのですが
エネルギーを大量に消費してしまい
英語を話した日はいつも夜に力尽きていましたね。
移住して1ヶ月後親が応援に
移住して一ヶ月後
親がジョホールバルに応援しに来てくれました。
2人だと心細い部分も4人だと行ける
という集団心理(?)もあってか
それまでに行けていなかった場所にも行けて
行動範囲が広くなりました。
日本のものを沢山持ってきてくれましたし
家に来ている間色々サポートしてもらって
生活がだいぶ安定するようになりましたし
不安の多かった新生活も
親のいた1週間はとても気が楽になりました。
この時は
次にいつ帰るか決まっていなかったので
「次会えるのはいつになるだろう」
と思ったのを覚えています。
事業を軌道に載せるための追い込み
この時期が一番しんどかったです。
誰も知らない事業を広めていく事
0からサービスを創り上げていく事
どちらも、評価も何も無いところからスタートして
何のレスポンスも無い事を延々と数ヶ月続けていきました。
暗闇の中でずっと作業をしている気分でしたね。
これがあるから今があるので、
特別嫌な思いはありませんが
もう一度やってと言われたら相当な気合がいりますね^^;
家族をはじめ色々な人から激励が
事業が軌道に乗る前の段階は
身内しか状態をしりません。
ありがたいことに
この時は色々な人から激励の連絡がありました。
その為、しんどい時期も乗り越えられたと思います。
今の事業に未来が見えた
子どもを育てている訳では無いので
子どもの事については中々
具体的なイメージが出来ませんでした。
そんな時に海外で育った
一人の高校生に出会いました
今までサブリーダー的な役割が多かったので
人を見る目はかなりついていて
その目で高校生を見た時に
そのポテンシャルの高さに驚きました。
「教育」の重要性、
海外に出ることの重要性を再認識しました。
そして、今の事業は成功しなければならない
とも思いました。
そしてサービスをスタートそして。。。
始めるのには結局半年かかりました。
やっている間は長くて、終わってみれば一瞬でした。
この間は色々な人に支えられ
やっとスタートを切れて、
感謝と安堵が混じった日になりました。
スタートしたその日にサービス利用者も出て
本当に良かったと思います。
今は感謝の言葉に支えられて
今は感謝の言葉を頂く事がとても多くなって
始めた頃のしんどさはなくなりました。
いつも誰かが見ていてくれるというだけで
事業は頑張れますね。
まだまだ至らない部分はありますが
少しでも多くの感謝が生まれるように精進したいと思います。
多くの人に感謝をしながらまた一年
友人、家族、事業を通して知り合った方々。
本当に多くの人に支えられてここまで来ました。
何一つ欠けても今のこの場所にはいれなかったと思います。
事業自体はこれから更に飛躍させる為に
自分の力を発揮したいと思います。
最後に
結婚してすぐに移住することになり
慣れない土地で生活するようになったにも関わらず
文句ひとつ言わずについてきて生活を支えてくれている
嫁さんに感謝して。