良い思い出の無い英語と英語の出来ない僕

こんにちは。青峰 隆です。

 

ジョホールバルは今、雨季で

だいたい1日1回は雨が降ります。

朝が快晴でも昼に豪雨は普通です。

ただ、日本の梅雨の様に延々と降ることは無く

降っては止むを繰り返すので、雨が降っていない時に移動すれば

傘は必要なかったりします。

 

 

【良い思い出のない英語】

 

 

僕は

 

自分の英語力に対して

 

ポジティブな印象がありません。

 

 

あまり振り返りたくない所ですが

 

僕の英語歴について書きたいと思います。

 

 

 

▼小学校時代

 

 

僕の頃はまだ英語教育が重要視され始めた頃で

 

小学校で英語をすることはありませんでした。

 

 

小学校の時はとにかくゲームが好きだったので

 

ファイナルファンタジーに出てきた

 

「ファイア」「サンダー」「シェル」

 

 

などの英語はバッチリ覚えていましたが

 

ゲームに出てくる単語以外は「Apple」とか「Pen」とか

 

しか知りませんでした。

 

 

 

▼中学校時代

 

 

ここから英語教育が始まります。

 

単語を暗記する様なテストばかりで

 

英語の面白さが全く分からず、

 

常に60点くらいだったと思います。

 

 

なぜかネイティブな先生が授業に出てきたのは1年生の時だけで

 

後は無し。話せるようになれるとは思いませんでした。

 

 

 

▼高校時代

 

 

このころから文法をかなりやらされた様に思います。

 

ただ、文法の参考書をなぞってする授業で面白さが無く

 

「何のための英語の勉強」か分からなくなっていました。

 

 

英語には段々ついていけなくなり、未だに文法は分かりません。

 

分からないので英語を勉強する気が起きず、

 

英単語も頭に入らなくなりました。

 

 

この時もネイティブな先生がいたのは1年生の時だけ。

 

あとは大学受験の為の英語ばかりだったと思います。

 

 

 

▼大学時代

 

 

最初の2年は義務で英語をやります。

 

僕の大学はネイティブな先生がいたので、

 

英語については話せるようになるかと思いきや

 

 

高校時代についていた「英語への苦手意識」が強く

 

授業に入り込む事が出来なくなっていました。

 

 

2年英語をやると、もう大学で英語の授業はありません。

 

また、論文で英語を使ったりしますが、話すことは無く

 

使える英語として見についてはいなかったのです。

 

 

論文の英語も英語が出来る友人に訳してもらいながらやる始末。

 

 

そのせいで、研究室での発表会の時に教授から

 

「君の英語は小学生以下だ!」

 

と激怒され、それ以降は英語に対して大きなトラウマができてしまいました。

 

 

社会人になるまでに海外に行った回数は

 

小学生の時と大学の時のわずかに2回。

 

すべてツアーだったりしたので、

 

英語を話す事は皆無で英語への抵抗は外れませんでした。

 

 

 

そんな状態での、海外移住だった訳ですが

 

今のところ生活できてはいます。

 

 

どうやって生きているのか?

 

どんな英語で生活しているのか?

 

 

僕のように「英語が苦手」な人にとって少しでも希望になればと思い

 

「中学英語で海外生活」

 

について書いて行きたいと思います。

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