僕は英語ができない。
中学でも成績が良いわけではなく
得意でも無いので高校で勉強することも
辞めてしまった僕は
自分にそのレッテルを貼っていました。
そして、「英語が出来ない事」で
「話す事」も億劫になっていました。
「文法間違ったらダメなんじゃないか。過去形はなんだっけ。」
といった事が先に頭に浮かぶのです。
ですが、
話さないといけない事は話さなければいけません
「出来ない、どうしよう」と思いながらも
初めての会話は、おそるおそる
「キャ、Can you・・・」
と話したのがキッカケでした。
そこから、
「 I の 後、過去形だったらwas」
と考えながら話していると
こっちのテンポは悪いです。
それに対して向こうは
「Study」「Can」「Where?」
だけが返ってきました。
「あれ?単語だけ?」
これはアジアの特徴なのかもしれませんが
「文法はあって無い様なもの」
で、例えば
「アイ、スタディ、イングリッシュ」
でも
「スタディド(←過去形)、イングリッシュ、アイ」
でも意味は通じるんですね。
コチラの人は更に酷くて「スタディ、ナウ」
と平気で言います。でも、誰の事かは分かります。
日本語で習った
S+V+O(うろ覚えです)
とかの文法は「会話する」点では意識がなくても(知らなくても)
話が出来るのです。
現在形、過去形。聞き取れない時は聞き取れません。
でも、「勉強してい(た)」「勉強してい(る)」
というのは会話の意味をとる上では大きな問題になりません。
細かいコミュニケーションを取りたい時に
初めて文法が必要になってくるだけで、
重要な所は「勉強」という意味のはずです。
よく考えてみると日本語であっても
「どこいくの?」
「それ楽しい?」
「食べたい、パン」
と会話の時に文法を意識せず
話すことが殆どですので
日本人よりも大雑把な(失礼!)
外国の方がきっちりと話している事の方が考えにくいのです。
そう思った時、
外国人と話す事の壁は低くなりました。
「まず話してみる事。」
これで取り払う事は出来なくても、
少し低くなります。
「相手もいい加減に話している」
と体感出来れば、
次の会話はさらにハードルが低くなります。
話しかけられても、動じなくなっていきます。
そうして僕は
少しずつ話を聞ける様になりました。
もちろん
ちゃんと聞き取れる訳ではありません。
どうやって聞き取っていったのか。
明日はそこに触れてみたいと思います。
追伸:
英語の勉強について
「あの時やっておけば良かった」
と思わないと言えば嘘になりますが
「あの時は英語が楽しく無かった」
のだから、やっていなくても
良かったと僕は思います。
楽しくないことをやっていても仕方ないですし
結局「英語」を勉強する本来の目的であった
海外に出れる様になる。
という事は個人的に達成できているわけですので。
ですが、早い段階で
「英語が意味のある形で勉強しやすい環境」
はあった方が良いとは思っています。
自分ができなかった分
自分の子どもに用意してあげたいという想いがあり
僕は海外に出たという事がありますので。