海外を敬遠していたのはもうひとつ理由がある。
「英語が出来ない。」
英語では怒られた記憶しかない僕は
英語 = 怒られる
というトラウマになっていて
海外に出て話をしたら通じなくて怒られる。
というイメージになっていた。
海外に出て英語を話すことが恐怖だった。
ただ、そうも言ってられない時代が来ている事を知っていた。
出来れば見て見ぬふりをしたかった
中国とインドの人材。
エンジニアの世界では中国とインドの力が強くなっている。
特にインド。
もともと計算が強い上、英語が使える。
ITの技術は英語の情報が一番早い。
つまりインドは最新の情報を常に手に入れる事が出来る。
プログラムと言うのは世界共通。
つまり、プログラムを組むということに関しては
日本人とインド人の違いは無い。
ハングリー精神旺盛な
9億で勝ち残った人間に日本人が勝つのは難しい。
しかも、給料はインドが日本人の10分の1程度。
インド人10人と日本人1人でコストが一緒であれば、
できるだけインドを使おうとするだろう。
日本人の5分の1のコストでもインド人からすれば、普段の倍の給料を貰ったことになる。
給料が倍になるためなら、必死になる。
給料5分の1のプログラマー集団、
まだ、言葉の壁があるから大丈夫だが、
日本語を話せるインド人が増えれば、もしくはインドを仲介できる会社が来れば
一気に日本人の市場は乗っ取られる。
そうするとどうなるか。
仕事の単価が下がり、日本でプログラマーをするのは段々と苦しくなる。
そうなるとマネジメントするためにも英語が必要になる。
英語を避けられない運命に巻き込まれていた。