こんにちは。青峰隆です。
4月15日。
今日は結婚記念日です。
まだ2回目ですが
今でも結婚の前後を思い出しますね。
思い出す度にいろいろな思いが蘇ります。
ちょうど、結婚を
振り返る良いタイミングなので
思いのまま綴ってみたいと思います。
Contents
結婚が決まったのは一人暮らしを始めた事
僕が結婚したのは2年前で
結婚をするという話は
結婚式の半年前くらいに
僕が一人暮らしをしようとしたのがキッカケでした。
あまり地元から離れたいタイプではなく
特に家を出ることの必要性が無かったので
ずっと実家に住んでいました。
まぁ、家事が苦手というのもあったのですが^^;
ただ、流石にいつまでも
実家にいるのもなと思っていた位に
「そろそろ一人暮らししたらどうだ」
という話になり
ごもっともと思ったので
早速、家を探し始めました。
で、その時には嫁さんと付き合い始めて
2年近く経っていたのと年齢も年齢だったので
結婚するつもりなら2人で家を探したらどうか
という話になり、一緒に探すことになったのですが
家を決めたら
入籍をいつにするかという話になり
入籍日を決めたら
近いうちに結婚式は挙げた方が良いという話になり
トントン拍子で話が進み
結婚する事になりました。
もう、家を探し初めていたので
あいさつもほぼ公認状態で
問題なく進んでいきました。
一人娘でしたし
いつも「殴られるかも」等と
嫁さんに脅されていたので(笑)
流石に嫁さんのお父さんには
何か言われると思っていました。
「君になら任せられる」
と大変ありがたい言葉を頂いて
式の準備以外は順調に進みました。
嫁さんのご両親には
海外に行ってしまったので
中々会えないのですが
会う度に、実の息子の様に接してくださるので
とても感謝しています。
バタバタの式準備
結婚式に関わる準備は問題なかったのですが
結婚式の準備がかなりバタバタでした。
式まで6ヶ月を切っていて
ドレスをもう決めないといけない状態から始まりました。
共働きでしたので
毎週、ドレスを決めるために
式場やドレスショップに通っていました。
確かクリスマスの日に
ドレスを決めた記憶があります。
凄く空いてました(笑)
お正月は別々に
結婚前、家族と過ごせる
最後のお正月になるということで
嫁さんは家族と過ごしたいと
別々に過ごす事になりました。
この日を最後に
お正月を日本で過ごせていないのですが
また、落ち着いたら
正月に帰れるようにしたいと思っています。
友人に余興をお願い
ちょうど、正月前後
友人に余興をお願いしました。
大学のテニスサークル同期なのですが
なぜか3年生から
軽音サークルを掛け持ちしだした友人で
ギターとベースとドラムが揃うため
テニスサークルなのにバンドが出来ます(笑)
なので、余興としてお願いしたのがこの頃です。
そして入籍
入籍は2月3日でした。
節分の日なのですが
嫁さんの希望もあって
付き合い始めた日になりました。
ちょうど付き合い始めて2年で入籍。
毎年、入籍記念日はディナーをするようにしています。
余興の練習をする事に
友人に頼んだ所
何とボーカルに僕が選ばれる事になり
1月から4月までバンド練習をする事になりました。
ボーカルするのもバンドで歌うのも初めてでした。
曲目は
嫁さんの好きなBUMP OF CHICKENから2曲
僕の好きなサザンオールスターズから3曲
披露宴と2次会合わせて
5曲という事になりました。
披露宴はサプライズという事で
当日まで僕が歌うことは伏せていました。
バンド練習はおそらく6回程やりました。
毎回4時間以上かけて練習。
結婚式の前日も練習しました。
この時、
2人の友人は広島に住んでいたのですが
バンド練習の為にはるばる大阪までやってきて
他の友人も忙しい中、集まってくれて
楽器を買ってくれた友人もいて
しかも、バンドの費用は僕以外の全員で割る形にしてくれて。。。
本当に良い友だちを持ちました。
この時間は一生忘れないですね。
結婚式の1週間前に海外ビジネスの話を聞く
バンドの練習をしつつ、式の準備をしながら
結婚式の1週間前に東京のセミナーに行きました。
ここで、今の仕事の話があって
人生で大きな決断をする事になりました。(機会があれば書きます)
この段階ではまだ確定ではなかったのですが
向こうからの勧誘だったのでほぼ決まってはいました。
そして結婚式
人生の決断をした後でしたが
結婚式の時は結婚式しか考えられなかったので
非常に楽しめました。
初ボーカルが結婚式というのは
中々プレッシャーがありましたが
歌いきり、サプライズも上手く行きましたね。
本当に一瞬で過ぎたと感じるくらい凄く楽しかったです。
友人には感謝のメールを送りました。
そして、バンドやってくれた5人の結婚式は
何があっても出るし、頼まれたら何でもやると誓いました。
結婚式の為だけに
帰国してもまだ返しきれないくらいの恩ですので。
ジョホールバルへの移住が正式に決まる
結婚式が終わった次の日
ジョホールバルへの移住が決まりました。
一人暮らし → 同棲 → 結婚 → 移住
と1年足らずの間に
めまぐるしく生活が変わっていったのですが
今となっては良い思い出です。
ついて来てくれた嫁さんには感謝しか無い
出会った時には
海外に一度も行ったことの無かった嫁さんですが
僕が海外ビジネスの話を聞いた時に
「行ったほうが良い」
と背中を押してくれました。
結婚式の1週間前に東京に連れだされて
海外行きの話を一緒に聞いて
良くその言葉が出てきたなと思います。
僕も嫁さんも英語は全く話せないですから
まともに生活出来ない可能性もありました。
また、マレーシアのジョホールバルが
どんな所かも全く知りませんでした。
情報も無いですし。
だから、普通であれば反対しても
おかしくないと思います。
また、反対されれば行けなかったと思いますし
今の生活は無かったので
やはり「ありがとう」ですね。
この日の事は
結婚記念日を迎える度に思い出すと思います。
来年の記念日は家族も増えているので
その時、どんな気持ちでこの日を迎えるのか楽しみです。
「いつもありがとう。これからもよろしく!」