「マレーシアでCTOを」
その話を聞いた瞬間、僕の頭の中では最初「No」を示していた。
「去年引っ越して、来週に結婚式を控えていて、それが終わったらやっと一息できるというのに。」
「東京に行くのにもためらった僕が?」
「第一英語が。。。」
「No、出来ない、無理だ」
否定ワードのオンパレード。いくつ上げたか分からない。
いつも通り、これで自分の中では終了。
のはずだった。
何故か残る胸のモヤモヤ。さっき飲んだワインのせいか?
これは何か違う。
心と頭が別れ、言い合いを始めた。
『なぜやらないんだ?』
と心の声。
「地元を離れたくない」
と頭の声。
『地元はなぜ離れたくないのか?』
「皆がそこにいるから」
『皆がそこにいたらなぜ離れられないのか?』
「親に何かあったときすぐに駆けつけられない。友人と会えなくなる。」
『本当にそうなのか?』
「。。。」
『じゃあ、こう考えよう。親に何かあったとして駆けつけられない。なぜそれをしたいのか?』
「今までお世話になったから。」
『今までお世話になった恩返しが駆けつける?そんなんでいいのか?』
「それは嫌だ。」
『よく考えろ。このまま会社員として20年働いたとする。
心配性のおまえが導き出した答えの通りの未来を迎えたとしたら。
駆けつける事は出来るかもしれない。でもそれだけだ。』
「そうだね。」
『親孝行をしたいと考えているのなら、元気なうちに返したいんじゃ無いのか?
その方が良いと思っているんじゃないのか?』
「そうだ。」
『チャレンジは2年。2年くらい、親は元気に生きてくれている。』
「それは大丈夫。」
『思い切り親孝行がしたいのなら、今のまま2年過ごすのと、マレーシアに2年行くのとどちらが可能性がある?』
「マレーシア」
『それじゃあ、行くべきなんじゃないか?』
「いや、友人と会えなくなる。」
『次はそれか。今、年間何日、友人と会っている?』
「お盆、ゴールデンウィーク、正月、あと時々。」
『ということは決まって会っているのは3日。海外に出てもその気があれば帰って、会えるだろう。』
「確かに。」
『それじゃあ、マレーシアに行ったとしても、友人と合う回数はそれほど変わらない。
今と変わらない生活をしていても、マレーシアで生活していても。』
「・・・」
『もういかない理由がないだろう?』
「英語が。。。」
『それなら聞くが、英語が出来るようになったら行くのか?勉強するのか?
高校時代から英語を話せる様にならないと言いながら未だに話せないままなのを知っている。』
「・・・」
『このまま日本にいても勉強はしないだろうし、それなら話せないままでも
マレーシアに行けば話すようになるだろう。話せなければ生きていけないのだから。』
「確かに。」
『自分の描いた未来には英語が無いと取り残されるとあるのだから、やらなければ後で後悔するぞ。』
「・・・」
『英語が出来ずに日本からでなられなければ、分かっていたのに何も出来なかったと後悔する日がくるよ。』
「そうだね。」
『あと、別の道も考えてみようか。例えば転職。未来はどうなるだろうか?2年後は劇的によくなっているだろうか?』
「なっていない。なってもちょっと良くなった程度だろう。」
『もう一つ、フリーランスとしての道。どうだろう?2年後、生活は良くなっているだろうか?』
「成功するかどうかでかわるけど、成功したとしても、厳しい現実があるだろう。何よりリスクが高い。」
『マレーシアに行くより今の状態を改善できる方法を知っている?』
「知らない。」
『半年前、後輩と約束していたよね。』
「20代のうちに希望の光になる。あの人に付いていって良かったと思える先輩に。」
『今のままで約束は果たせるか?』
「難しい。」
『果たさないの?』
「果たさなければいけない。20代と30代では大きな差がある。29歳と30歳。この1年はとても大きい。」
『それじゃあ、この道以外ないんじゃない?』
「・・・」
『何をそんなに考えている。もう行くしか無いだろう。』
「嫁さんが。。。」
『結婚式、来週だしね。』
「そう、結婚してすぐに離れ離れになるかもしれない。」
『結婚したらおわりなのか?』
「いや。これからだ。」
『それなら聞くが、これから変わらない生活をする。10年の時がすぎる。子どももいるだろう。
その時に本当に幸せに暮らせているだろうか?』
「共働きでないと生活できない感覚がある。そうであれば、苦労しているのは目に見えている。」
『ということは仮に50年一緒に生活するとして、40年苦労をするのか?』
「・・・」
『2年苦労して、48年幸せにくらすのと、このまま40年以上代わり映え無く苦労するのとどっちがいい?』
「それは2年の方がいい。だけど、成功するかどうかなんて誰にもわからない。」
『そうだ。だけど、何もしなかったら何も変わらない。このままであれば40年以上の未来は変わらない。
だけど、2年やれば大きく変わる可能性がある。仮に出来なかったとしても、失うのは2年。
40年苦労するとしたら、失うのは40年。』
「・・・」
『更に、このチャンスを知ってしまった以上、40年の間ずっと、「もし、マレーシアに行っていたらどうなっただろうか。」と考える。一生消えない傷が出来る。』
「それは、辛すぎる。」
『そう、こうなった以上、行かなければ「後悔」しか残らない。後でどんなに自分に言い聞かせても、消えない。』
「そうか。今の状態だと、行かないと決めた瞬間から一生後悔することになるのか。」
『想像してみろ。親孝行もロクにできず、友人に会っても代わり映えのない報告をするだけ、さらに後輩との約束は守れず、守るために何かしたのかと言われても何もせず、家族と苦労するばかりの何十年という月日。
その生きている間、後悔の言葉だけがずっとこだましているんだ。』
「想像するだけで胸が苦しくなる。」
『もう一つ重要な事がある。それは、この揃っているという事だ。今、会社ではシステムの主任としてやれる事はやり、行き詰ってしまっている。システムエンジニアとして次のステップに進む時が来ている。次に海外で働く事が出来るエンジニアであれば可能性が広がると考えている。さらに人生の転機。確かに結婚はするが、子どもは居ない。子どもが生まれれば身動きは取りにくくなる。そういう意味では今が一番動きやすい。
今の自分の能力、これからの展開。このタイミング。全て揃って目の前にある。
問題に思っているのはマレーシアということ、CTOは自分の次のステップと考えていたポジションだったはず。』
「そう、マレーシアでなければ間違い無くやると思う。」
『それなら、もう迷う必要はないな。』
「よし、マレーシアでCTOを。」
こうして、僕はマレーシア行きを決めた。
どんな結果になったとしても
間違いなく人生は大きく変わる。
マレーシアでCTOとしてやった事は間違い無く僕の力になるのだから。