青好き 青峰です。
ブラジルへの渡航に際して一つ
どうしても行かないといけないと思っていた場所が「スラム」
ブラジルではファベーラと呼ばれますが
日本人が深く関わっているファベーラがブラジルにあると聞き
どうしても見ておかなければいけないと思ったのです。
前提としてファベーラは
警察も寄りたくないと言うくらい危ない所が多く
基本的に近づいてはいけないのですが
今回ご紹介するMonte Azul(モンチアズール)は正反対。
日本語に訳すと青い山。
何のご縁か青の名を持つこのファベーラ
なぜ、希望と言われるのか?
そして、どんな可能性を秘めているのか?
少し長くなりますが
スラムがなぜ出来上がるのかという背景から
書き上げてみたいと思います。
Contents
青い山の名を持つ希望のファベーラMonte Azul(モンチアズール)
Monte Azul(モンチアズール)は日本語で青い山を意味し
ブラジルのサンパウロにある
500世帯 2000人以上の人が生活する
巨大なファベーラ(スラム街)です。
ファベーラの自立を目的として
30年ほど前から始まった支援プロジェクトが
実を結んで出来上がったアソシエイションコミュニティで
心の教育に重きを置いたシュタイナー思想をベースに
学校やレストランを始めとした施設の運営など多角的に展開させ
今では安全で犯罪が起きない上に
教育水準が非常に高い街になっています。
スラム = 悪
という様なイメージでしたが
それを覆す場所であり
ブラジル国内だけでなく
世界中から注目が集まっています。
モンチアズールのHP(ポルトガル語)
http://www.monteazul.org.br/home.php(HP ポルトガル語)
周辺の街より遥かに安全なモンチアズール
モンチアズールは見た目はスラム街に近いのですが
一般的なスラムにくらべて非常にカラフル。
その外見にも象徴されるように
非常に安全な場所になっています。
モンチアズールの中には
レストランやスーパーを始めとした
生活に必要なお店が揃っており
しかも、外で購入するよりも安全という事で
スラムの外から買い物に来る人がいるほど。
実際、スマホやカメラを見せる形で持って入っても
嫌な視線を感じる事も無く撮影出来ました。
(ただし、後ほど書きますが、関係者以外は撮影禁止です。)
なぜ、これほど注目が集まるのか?
ファベーラ(スラム)とモンチアズールを比較しながら
お伝えしようと思います。
スラム街が出来る流れ
スラム街 = 悪
と言われるのは、犯罪の多くがこの近くで起こり
その起こしている本人がスラム出身である事が多いからでしょう。
モンチアズールの人の例があるように
スラムの人も同じ人間でありますし
最初から悪い人たちでは無いのですが
通常、スラムで生まれた場合
戸籍を貰うことが出来ません。
戸籍を貰うことが出来ないと
就職したりすることも出来ないので
お金を稼ぎ出す事が出来ない上に
各種保護も受けられない
それならば
ただ、戸籍を渡せば良いという訳にも行かないんです。
なぜなら、すでに戸籍のない親に対しての子どもとなると
戸籍を作るには非常に手間がかかる上に
これまでの経緯から
わざわざ危険を犯してまでという意識も働きますから進まない。
という事はやはり稼ぐという事が非常に難しくなり
収入を得られないが、世の中は資本主義。
資本がなければ生きていけません。
そうなると誰かのモノを
盗ったりしないと生きていけない。
盗みを正当化するつもりはありませんが
こうしてスラムが出来上がってきています。
ここにドラッグが入り込んでいる所もあり
中にはドラッグの為に盗みをするという人間も居ますし
そういう人はもうどうしようもないのですが
全員が全員、救いようのない人ではないという事だけ
認識して頂けたらと思います。
スラム社会について
スラムというのは
一言で言えば「ムラ社会」です。
スラム外の人に対しては冷たい態度を取る
排他的な所が多いです。
いくつかスラム街の前を通りましたが
近寄りがたい、近づかせない様な雰囲気が漂っていました。
しかし、同じスラムの人間同士の結束は非常に強く
その中では助け合いで生きているとの事。
一つ一つが家族の様に結束した街
とでも言いましょうか。
外から見たスラムに関しては怖い存在ですが
中から見たスラムというのは心強い
そんな集団になっています。
モンチアズールの形ができるまで
モンチアズールは30年程前から
スラムと外部の架け橋になるようにという事で
取り組みが始められています。
創設はドイツ人なのですが
ある時、一人の日本人がやってきて
このモンチアズールで色々とお手伝いをしたのですが
その時に、モンチアズールの人々は
その日本人に大変感謝をしたようで
日本のボランティアを受け入れようという流れになった様です。
そして、日本人の人が毎年手伝いに来るようになり
その日本の和の心が
このモンチアズールに少しずつ浸透し始めました。
1988年からは日本人が毎年ボランティアに来て
日本祭りを毎年行っており
もうすぐ30年になります。
こうして、日本人のボランティアの方々が
継続的に訪れてスラムの方と触れ合う様になるときに
地域としては公務員をこのモンチアズールに置くようになりました。
はじめはこの公務員は日本人を守るための
監視役だったのですが
日本人とモンチアズールの人々の関わり合いを見ていく中で
このスラムを一緒に盛り上げていこうという様に変わりました。
戸籍をもらえるようになったスラムの人たち
モンチアズールでは創設したドイツのシュタイナー思想に
日本人による和の心の伝達が入り
心に重きを置いた教育が進み
教育水準が非常に高くなりました。
スラムの認知が広まっていくうちに
モンチアズールの人たちには戸籍が持てるようになり
今では、モンチアズールの住人は
外部で仕事を出来るようになりました。
モンチアズールの住人は教育水準が高く
能力も申し分ないという事で
ブラジルの中でも採用率は非常に高く
派遣として入っても
殆どの人が正社員になるそうです。
今では、モンチアズールの人が
欲しいという企業が多いとのこと。
外から移住してくる人が増えるモンチアズール
モンチアズールに住む人は
その教育水準ゆえに心身が非常に安定しています。
なので、モンチアズールに住む人による犯罪は皆無で
モンチアズール内は物価も安く
ブラジルの他のエリアに住むよりも安全なので
最近は移住してくる人も増えてきているそうです。
訪れた時に移住予定の新しい家が
建てられている現場もありました。
そうして一番安全なスラムとしてブラジル大統領が視察に
このモンチアズールはその安全性と教育水準の高さから
ブラジルの大統領が視察に来るまでの場所になりました。
国の要人ですから本当に安全で無ければ
絶対に来ないのですが
実際に来て
大統領が来れるレベルであると
この時に証明されました。
ここまでのベースを創り上げたのは
紛れもなく日本人でして
モンチアズールの人々は日本人に対して非常に友好的でした。
担当の職員さんは
「地球の裏側だけど
このモンチアズールを通して
日本とブラジルがもっと仲良くなれれば」
と言われていました。
いい意味でのムラ社会を持つモンチアズール
モンチアズールの安全を確保している部分にも
関わってくるのですが
それぞれが助け合うムラ社会で
モンチアズールの住人同士はお互いの事を良く知っています。
万が一誰かが犯罪を犯したりしたら
モンチアズール中の人に知れ渡り
最悪、追い出されます。
ので、外部から来た人がいても
当然、誰も何もしません。
また、外部から強盗が来ようものなら
モンチアズール総出で撃退。
とにかく、街が一体感を持っています。
モンチアズール自体が大きな意識体のように動いていて
これはまさに日本が強かった時代に被るんですよね。
僕はこのモンチアズールに
日本が復活するヒントがあると思っています。